野の花のように

暦の上では秋ですが、今年の夏は『暑い・暑い』をどれだけ言いながら過ごしたことかと思いますが、まだまだ暑さとの戦いです。

 

幼稚園部門の子どもたちは夏休みに入り、保育部門の子どもたちの登園も疎らな時間に、先生たちは健康診断を受けたり、夏の研修に参加したりしていました。

1学期に書くことができなかった『野の花のように』をようやくまとめ、発行することができました。

 

 休み中に金沢市の監査があり、監査の方に園だよりの『野の花のように』の意味はどんなことですかと聞かれました。

 

「野の花がどのように育つのか、注意してみなさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾っていなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか」

 『マタイによる福音書 6章28節~30節』

 

エス様は、野に咲いている花がどのように育つのか注意してみなさいと言われました。野の花は働きもせず、紡ぎもしません。花は自分の身を飾るための衣服を作り出したりもしないのです。それに花は生きる場所だって選ぶことはできないのです。種が落ちたら、崖の上であろうと、道端であろうと花はそこで芽をだします。誰が見ていようと見ていまいと、ほめてくれようとくれまいとそこで花を咲かせます。

そういう花をイエス様は美しいとおっしゃるのです。私たちの命はこの花よりもはるかに尊く、はるかに美しいのではないかと教えてくださいました。

 

「野の花のように」の原稿を考えていたときに、私が10年間書き綴った家庭新聞がみつかり、懐かしくしばらく娘たちと当時の思い出話をすることができました。

 

 

 

おまけ

たんぽぽ組さんが描いた花火、

本物は見れなかったけど、はじけるような美しさです