忘れることができない受難劇

今から10年前に行ったオーバアマガウでの「キリスト受難劇」を見たときのブログを見つけ、懐かしくて再掲することにします。

 
 10年に一度、世界中から五十万人が押し寄せるオーバアマガウの「キリスト受難劇」
村の人口5000人のうち、3000人が参加する世界最大の村芝居。

出演者は、生まれたばかりの赤ん坊から90代のお年寄りまで総勢2500人。(子どもだけで500人)オーケストラ、大道具や衣装などの裏方500人も、すべて村人です。

すべてが村人の手作りというと、大したレベルではないように思われますが、長い歴史の中で、ドイツを代表する演出家や演奏家を何人も生み出し、演劇界に多くの人材を輩出するくらい、すごいものなのです。

 村人は素顔のままで出るので、皆、その役に相応しい役づくりに心がけるらしく
シーズン中は、髪やひげを伸ばした人が増え、あちこちでユダやペテロや聖書に描かれている人をみかけましたから、村人たちの受難劇にかける意気込みをヒシヒシと感じました。

オーバーアマガウ・キリスト受難劇の歴史は、1633年に始まりました。
30年戦争の間、ペストが大流行し多数の死者が出ました。その際、生き残った人々は「もし絶滅から免れたならば、私たちの主イエス・キリストの苦難と死と復活の劇を演じます」と誓いを立てました。そして、1634年のペンテコステ聖霊降臨日)に、彼らは約束を果たしました。

 
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 オケピへ入っていくオーケストラの人々
 
 いよいよ始まります。
 
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チケットと共に配布されたテキストブック
 
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 英語版・・
 
 
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 ドイツ語版・・
 
 
 
1幕「イエスエルサレムに入る」から、11幕「キリストの復活」まで6時間と長丁場。あいだに3時間の夕食休憩をはさんで上演されます。
  
   
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 舞台は、オーバアマガウの自然と
一体になった美しい屋外劇場
 
 
 序曲と共にプロローグを語る人を中心に男声合唱団、女声合唱団が横一列に並び、バスの独唱で劇は始まりました。コーラスも、オーケストラも、想像以上に素晴らしく
一気に引き込まれていきました。


一幕のイエスエルサレム入場を村人がみんなで迎える場面は、舞台からあふれるほどの人・人・人、大人も、子どもも、赤ちゃんも、ロバも、ヤギも、馬も、そしてハトも

その人たちは野原の葉を持って『ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。われらの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサナと。』と叫びながらろばに乗ったイエスを迎えました。
 
ろばからおりたイエスは神殿の境内で売り買いをしていた人を追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰かけをひっくりかえしました。 
マルコによる福音書11章)
                             
言葉がわかりませんが聖書のままでしたから、舞台であることを忘れるような迫力に、私も村人の一人のような思いでした。
まわりの熱心な人たちは、懐中電灯持参でテキストを見ながら観劇していますが、私には英語、ドイツ語のテキストでは全く分かりませんから、一生懸命舞台を見ながら 「ペテロだ。この人はニコデモかしら・・・・・?」
「裏切ったユダだ!」 「裁判がはじまった!あの人はピラト!」
と自分の知っている人物に照らして観ていました。
 
各場面の移り変わり時には、中央の幕が開いて活人画が現われます。
まるで絵画かとも思えるほどで、出演者たちは蝋人形のように微動だにしません。
子供たちも一生懸命ポーズを決めていました。


前編だけでも、3時間となが~い劇。
身体の大きな外国人には狭すぎる座席と、この暑さでしたから、高齢者の観客には堪えるらしく、あっちでも、こっちでも倒れる老人がでて、上演中に何度も救急隊が出動する場面がありました。観客の八割は老人でしたから主催者側も慣れっこなのか、救急隊の対応の早いこと!心臓マッサージまでされている方もいて、大丈夫なのか不安になりました。

10年に1度の受難劇は、敬虔なクリスチャンには無理をしてでも、観ようと、ドイツはもちろん、いろんな国籍の人が集まっていました。
この後 びっくりする出来事が起こったのでした。
 
 
話が進み、イエスの12人弟子の一人のユダが,裏切りを企て祭司長のところに出かける場面になると半円状の舞台からのぞく青空に、黒い雲が現れました。

黒い雲は、すごい勢いで青空を覆っていき、あっという間に空は真っ暗に!!
そして、雷鳴が響き渡りました。

 「すごい迫力!」
 
 ユダの裏切りをリアルに表現しているが、「すごすぎる!」と思っていると、隣の席のドイツ夫人がすごいスピードで動く黒雲を指差しながら、不安そうな目で話しかけてきました。
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有名な最後の晩餐のシーンにさしかかった時のこと


エスが弟子たちの足を洗い始めると、ものすごいカミナリの音が鳴り響き、雨もふりだしました。 とどろくカミナリに負けじと、舞台上の俳優たちも熱演をしていました。
「あなた方の一人が私を裏切ろうとしている」
                                                                   (マタイによる福音書、26章21節)
 
「私と一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が私を裏切る」
 
 イエスは「これは私の体である」と言い添えて、持っているパンの小片を使徒たちに与える。カミナリ、そして雨に、とうとう大粒のヒョウも降りだしました。
ものすごい勢いで降ってくるゴルフボール大のヒョウが弟子たちを打ちつけました。
 
 
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         空は真っ白、何も見えません。


前列の観客たちは、避難を始め、びしょぬれで頑張っていた俳優たちも、演技を一時中断して、避難。

 ユダの裏切りの場面と同時に荒れ狂うさまは、まさに神の怒りのように感じました。 
敬虔なクリスチャンの観客たちは、『奇跡的な出来事に」神の怒りを感じ、恐れを感じているようでした。
 
 
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 真夏なのに・・まるで冬のよう

 
 
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  観客総立ち!!

 
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なんとも、凄すぎるオーバアマガウ受難劇。

ひょうが降りやむまで、30分ほど劇は中断されました。その間、観客たちは今起こったことを語り合い、 動揺しながらも神を賛美し祈りをささげる人たちもいました。

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割れんばかりの拍手に迎えられ、舞台に演者が戻ってきた時には、空は晴れ渡り、遠くの景色まで見渡すことができました。
突然のハプニングにより、演者、観客が一体感となって舞台は進められました。

 食事休憩をはさみ、PM8時からまた再開されました。

 イエスは十字架を背負い、ゴルゴタの丘へ這い登り、 やがてクライマックスの時、十字架にかけられたイエスは「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになられたのですか」と叫びました。
                         (マタイによる福音書27章46節、マルコ福音書15章34節)。


やがてユダはイエスを売った賞金を投げ捨て、首を吊りました。
 
そして、とうとうイエスが十字架にかけられるシーン
生身の人間によって演じられるこの場面は、臨場感にあふれ、目を背けたくなるような生々しさがありました。
 
 しかし、そのあとに復活のイエスを迎え、明るい気分になった時には、夜空いっぱいに美しい星が輝いていました。
 
 人間の力では表現できない感動の『受難劇』に胸がいっぱいになりました。
 
何と終了したのは現地時間の午後11時でした。

それからお迎えのバスでホテルまで移動、体力が勝負の『受難劇』となりました。
 
この様子は新聞記事になり世界に知らされる出来事となりました。
私は忘れることのできない『受難劇』となり、生誕劇をする頃には必ず思い出しています。