キリスト受難劇 (旅の話)

   
 
  10年に一度、世界中から五十万人が押し寄せるオーバアマガウの「キリスト受難劇」

今年は、5月半ばから10月上旬までの間に、

合計で102回(102日)の上演が行われます。


村の人口5000人のうち、3000人が参加する世界最大の村芝居。

出演者は、生まれたばかりの赤ん坊から

90代のお年寄りまで総勢2500人。(子どもだけで500人)

オーケストラ、大道具や衣装などの裏方500人も、すべて村人です。

すべてが村人の手作りというと、大したレベルではないように思われますが

長い歴史の中で、ドイツを代表する演出家や演奏家を何人も生み出し

演劇界に多くの人材を輩出するくらい、すごいものなのです。

  村人は素顔のままで出るので、皆、その役に相応しい役づくりに心がけるらしく

シーズン中は、髪やひげを伸ばした人が増え、

あちこちでユダやペテロや聖書に描かれている人をみかけましたから、

村人たちの受難劇にかける意気込みをヒシヒシと感じました。



オーバーアマガウ・キリスト受難劇の歴史は、1633年に始まりました。

30年戦争の間、ペストが大流行し多数の死者が出ました。

その際、生き残った人々は「もし絶滅から免れたならば、

私たちの主イエス・キリストの苦難と死と復活の劇を演じます」と誓いを立てました。

そして、1634年のペンテコステ聖霊降臨日)に、彼らは約束を果たしました。

 
 
 
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 オケピへ入っていくオーケストラの人々
  いよいよ始まります。
 
 
 
 
 
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チケットと共に配布されたテキストブック
 
 
 
 
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 英語版・・
 
 
 
 
 
 
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 ドイツ語版・・
 

 
1幕「イエスエルサレムに入る」から、11幕「キリストの復活」まで6時間と長丁場。

あいだに3時間の夕食休憩をはさんで上演されます。
  
   
 
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 舞台は、オーバアマガウの自然と一体になった美しい屋外劇場
 
 
 
 
  序曲と共にプロローグを語る人を中心に男声合唱

女声合唱団が横一列に並び、バスの独唱で劇は始まりました。

コーラスも、オーケストラも、想像以上に素晴らしく

一気に引き込まれていきました。


一幕のイエスエルサレム入場を村人がみんなで迎える場面は、
 
  舞台からあふれるほどの人・人・人

大人も、子どもも、赤ちゃんも、

ロバも、ヤギも、馬も、そしてハトも

その人たちは野原の葉を持って
 
『ホサナ。
主の名によって来られる方に、祝福があるように。
われらの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。
いと高きところにホサナと。』
 
と叫びながらろばに乗ったイエスを迎えました。
 
ろばからおりたイエスは神殿の境内で売り買いをしていた人を追い出し、
 
両替人の台や鳩を売る者の腰かけをひっくりかえしました。 (マルコによる福音書11章)
                             
 
 
言葉がわかりませんが聖書のままでしたから
 
舞台であることを忘れるような迫力に、私も村人の一人のような思いでした。

 
まわりの熱心な人たちは、懐中電灯持参でテキストを見ながら観劇していますが、
 
私には英語、ドイツ語のテキストでは全く分かりませんから
 
一生懸命舞台を見ながら 「ペテロだ。この人はニコデモかしら・・・・・?」
 
 「裏切ったユダだ!」 「裁判がはじまった!あの人はピラト!」
 
 と自分の知っている人物に照らして観ていました。
 

 各場面の移り変わり時には、中央の幕が開いて活人画が現われます。

まるで絵画かとも思えるほどで、出演者たちは蝋人形のように微動だにしません。

子供たちも一生懸命ポーズを決めていました。



前編だけでも、3時間となが~い劇。

身体の大きな外国人には狭すぎる座席と、この暑さでしたから

高齢者の観客には堪えるらしく、あっちでも、こっちでも倒れる老人がでて

上演中に何度も救急隊が出動する場面がありました。

観客の八割は老人でしたから主催者側も慣れっこなのか、救急隊の対応の早いこと!

心臓マッサージまでされている方もいて、大丈夫なのか不安になりました。

  
  10年に1度の受難劇は、敬虔なクリスチャンには無理をしてでも

観ようと、ドイツはもちろん、いろんな国籍の人が集まっていました。
 
  規模は小さいけど日本の長崎に行った時の光景と重なるものがありました。


  この後 びっくりする出来事が起こったのでした。

            

                                            ・・・次回につづく