3・8豪雪ほどではないけれど



大雪になると必ずささやかれるのが,昭和381月のサンパチ豪雪です。数万年に一度の寒気がもたらした積雪は181cmで、人の背丈を超える驚異的な数字を50数年経過した今も更新されることがありません。その当時、私は学校に行くのに、屋根を歩いていたことを覚えています。なぜ屋根を歩いたかというと、屋根の雪下ろしをしようにも雪の置き場が少なく、道路に下したために道のほうが高くなり、屋根の上を歩くことになってしまったのです。家は雪の中にすっぽり埋まり、雪の階段を下りて、二階から出入りをしていました。その上、金沢市長、石川県知事ダブル選挙がありました。どんな選挙活動をしていたのか覚えていませんが、選挙ポスターが豪雪の雪の中で張られました。選挙が終わり雪が溶けた時に、ポスターがものすごい高い所に張ってあったのが印象的で今も記憶に残っています。こんなサンパチ豪雪の話をすることができるのは、年配組の先生たちです。若い先生たちに話すと「へぇー!大変ですね。考えられない!でも車どうしたんですか?」と、平成生まれの若者たちには、昭和30年代は大昔のこと過ぎてイメージできないように感じます。時代のギャップを感じますが、それでも変わらないのは幼稚園と駐車場の雪すかしをし、それから保育をしている先生たちの逞しさ、体力勝負の仕事は今も昔も同じように思います。(野の花より)

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バナナ号です

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屋根の雪と地面が繋がりました


幼稚園の道は雪で、車が運行できません。朝から何回も雪すかしをしていますが、しばらくするとまたすっぽり雪に覆われてしまいます。
今日は自由登園にしましたが、幼稚園に来れない先生たちも沢山いて、
集まった先生は雪すかしと保育で大わらわでした。

そんな中、子どもを連れて雪すかしを手伝いに来てくださったお母さんに
本当に感謝です。

昔は豪雪というと、保護者がスコップを片手に登園して、雪すかしをしてくれた事を懐かしく思い出します。

園長、年を取ったから、弱音を吐いています。

雪が降り続くそうなので、子どもの安全を考え、明日は休園にしましたが、
いつ幼稚園バスが運行し、普段通り保育ができるか不安です。