昔ながらの脱穀

                                                         角間の里で脱穀 
              子どもたちが6月に稲を田植えし、10月に稲刈りし、天日干しした稲を
                     昔ながらの、千歯こきという道具を使って脱穀をしました。
 
 
           今回は、初めてみる千歯こきに子どもたちは「トゲトゲした針がたくさん付いているね。」
           と興奮して見ていましたが、千歯こきを見ると横の方に昭和26年と書いてあり、
              長く生きている私には、今は展示品となっているものに出会い、
               幼い時代がフラッシュバックしたような、懐かしさを感じました。
 
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とうみ 
 
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子どもたちと天日干しした稲をバケツリレーで運びます。
 
 
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稲の束を持って千歯こきに入れ、下から上に引っ張るとお米がとれていきました。
子どもたちは、「ジョリジョリするね。」と手で稲が歯を通る感触を楽しんでいました。
 
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千歯こきにかかったものをふるいにかけ
 
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おこめがついているものを選り分け
 
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とり切れなかったお米も手で丁寧に取っていきました。
 
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               篩いにかけたお米を”とうみ”という道具を使って、脱穀しました。 
 
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                ”とうみ”という道具は、お米を重いものと軽いものとに細かく分け、
                お米の入っていないものは風でとばしていました。
 
        脱穀を通して、昔の人の人たちの手間暇を改めて知る事ができ、
        こんな苦労の中に、”もったいない”感覚が育ったんだと思いました。
 
        飽食の時代に私たちが大事なことを手間暇をかけながら伝えていかないと、
        これから生きる子どもたちは、スーパーで、お金を払えば何でも手に入ると思うようになり、
        欠乏したときには、何もできず、パニック状態になるのではと不安に思います。
 
        『生活を生活で生活に』これは日本の幼児教育の父である倉橋惣三先生の言葉です。
                  子どもが自ら生活に必要な経験を日常生活の中で体験し、
                    それを日常生活の中に生かしていくという意味ですが、
             時がたっても、幼児教育の基本であるこの言葉を問い続けたいと思います。