干(ほ)し,じゅうぶん乾燥(かんそう)したようです。
千歯こぎ
江戸の元禄(げんろく)時代(1688~1704)に考案され,明治の終わりごろまで広くつかわれました。 穂から米・麦などを取る道具です。 台木(だいき)に,鉄・竹の刃を櫛状(くしじょう)に並べて固定し, 刃と刃のすき間に差し込んで脱穀しました。 千歯(せんば)こきは,たくさんの刃を持つところから, 千歯,一度に千把(ば)もの稲をこけるので,千把こきなどと呼ばれました。
上から歯のところに稲束(いなたば)をたたきつけ,ひっぱることで稲穂(いなほ)が落ちました。1把(いちわ)を一度に抜き取ることができなかったので,何回かに分けておこないました。
大正時代に足踏み式脱穀機が普及(ふきゅう)するまで全国で広く用いられました。
大正時代に足踏み式脱穀機が普及(ふきゅう)するまで全国で広く用いられました。
足踏み脱穀機
大正から昭和にかけては足踏み式の脱穀機
輪転機ともいいました。大正元年,自転車のスポークにあたったもみが,とびちったことから考案されたもので,これまでの脱穀作業を根本的に変えるきっかけとなったようです。千歯こきの数倍の能率をあげることができ,足で踏み板を上下させると,やまがたの針金がついたドラムが回転しました。そこへ稲束(いなたば)をのせ,手でおさえつけると、もみが落ちました。農家の人は,稲束を手で右や左に回転させながら脱穀し、人が足ふみをする反対側は「むしろ」でかこい,穀類(こくるい)がとばないようにしました。
お米が飛び散らないようにホロをかぶせたようです。
モミ擦りの後にモミと玄米を唐箕を使ってモミを吹き飛ばします。
唐箕を使ってもみ殻を吹き飛ばしました。
藁に残ったお米一粒一粒を大事にふるいにかけます
最後は籾摺り機です
玄米になりました。
最後の片付けまでみんなでやることができました。楽しかった人と聞かれて、全員が手を上げ、ちょっと自慢気な顔をしていました。